本記事にはネタバレ要素があります。ご理解いただいた上でお読みください。
「共食い」じゃなくて「共喰い」ね。
あえてそっちの漢字にしたあたりちょっと好感が持てる・・・。
「共喰い」を手に取った当時、著者のことはほとんど知らなかったけどタイトルに釣られて買ってしまった。ジャケ買いならぬタイトル買い。
「共喰い」は芥川賞を受賞、菅田将暉主演で映画化されたこともあって知名度は高いけど、まだ読んだことない人も多いんじゃないかな。っていうか小説読む人って僕の周りに全然いなくて本のこと喋る機会がないんだよね・・・
だからもうここで話すしかない(決意)
共喰いについて語る
「共喰い」は2012年に芥川賞を受賞した作品で人間の性と暴力について描かれた純文学作品だ。
セックスの時に暴力を振るう父親のことを批難しつつも、自分の中にその父親の血が流れているということを自覚し悩む青年のお話。
作者について
作者・田中慎弥さんは1972年山口県出身。「冷たい水の羊」で新潮新人賞受賞、「蛹」で川端康成文学賞を受賞、「蛹」を収録した作品集「切れた鎖」で三島由紀夫賞など、文学的評価の高い作家だ。
参考サイト:田中慎弥 | 著者プロフィール | 新潮社
「共喰い」で芥川賞を受賞した時に、「もらっといてやる」と発言。引きこもりで働いたことがないということで一躍有名に。
引きこもりで働いたことなくて芥川賞とった作家とかくっそかっこいいんだけど!!ニートの中に君臨せし-救世主メシア-じゃん。
MESIA He name is Shinya……
ちなみにこの発言には田中慎弥さんのこれまでの経歴が関係し発言の前後を知らなければ本来の意図はわかりませんので詳しく知りたい人はggr
共喰いのあらすじを短く説明すると
セックスの時に女性を殴ることで快感を覚える父・円とその息子・遠馬、そして円の愛人の三人の暮らしを描いた作品。
高校生の遠馬は恋人と接していくうちに自分の中に父親の異常な性癖があることに気づき始め葛藤の日々を送る。
血には抗えないのか、それとも・・・。
共喰いを読んで考えたあれこれ
遠馬は父親の性癖を目の当たりにして、父親のようにはなりたくないと思う一方、だんだんと父親と似ている自分に気づき始めて悩む。
父親の血が流れているからどうすることもできないという気持ちと、そういう風にはなりたくないという気持ちがぶつかり合い遠馬を苦しめていく。
ところで性格って絶対親に似るの??
たしかにさ、高校生の時にね、彼女のこと殴りてええええええええって思うって結構やばいと思うのね。でも同時に、いやそれはあかんやろって思う心も持ち合わせてる。
間違いなく父親の血が流れてるし、違うと思ってもその欲望があることを完全に否定できない。
この変わった性癖って直せるもんじゃないと思うんだよね。
理性と本能の戦い。
僕もこんなのほほんとしたおもちだけど、遠馬の気持ちわからんでもないんよなあ。
流石に殴りたいとは思わないけど、ちょっと相手の苦しむ姿見たいとか、SM的なプレイしてみたいとか、僕に限らずそういう人間って一定数いると思うの。
でも相手がそういうのに理解なかったり嫌いだったらしないよね、当然。
遠馬も理性で欲望を封じることもできると思う。
つまりに親に似てしまっても親と同じような生き方になるとは限らないってこと。
ただ遠馬の場合、欲望の衝動が強すぎて、ほんとに大丈夫だろうか・・・って気持ちがめちゃくちゃ強いから不安になってるんだよね。
そういう一種の思春期の不安定さがまずこの作品の根底にあって、作品全体もすごく重々しいというかおどろおどろしいというか、じとっとした気持ち悪い生温さがある。この子これからどうなるの!?っていうハラハラした気持ちにもなる。
作中に出てくる、汚い川、鰻、赤犬はメタファーになってて、この3つに注目しながら読むとさらに面白いと思う。
それからタイトルの「共喰い」はどういう意味なのか。
これは自分と血の繋がりがあり、血の繋がりを強く感じる父親のことを否定し、飲み込まれないように生きていく主人公のことを表しているんじゃないかな。
余談という名の脱線じゃけぇ
「共喰い」の作者、田中慎弥さんは山口県の出身、この小説の舞台も山口県。

実は僕も山口県産のおもちなんよね~
じぇけえぶち親近感わくんよね。「共喰い」の登場人物も山口の方言使ってるんよ。
映画もあるんじゃけど、映画の舞台は北九州市らしんよね。
映画は映画でよかったよ。オチが小説とは違うんじゃけど、映画の終わり方は田中慎弥さん本人もありだって言っとったらしいけえね。
知らんけど
ちなみに山口県は本州最南端、九州のお隣で、四国の北側、大都会広島のお隣にも関わらず、山口県の場所を知らない人が多すぎる問題を抱えとるけえね。

ところでおもちちゃんは山口県の場所わかる??

もちもちおもちー!!
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