もちもちおもちのおもち君だよ。
今日は森博嗣さんの小説「すべてがFになる」の考察記事だよ。
Fって何ー??
それがこの本の一番の謎で大事なところだから今から説明するね!
本記事はネタバレ要素があります。未読の方でオチを知りたくない方は注意してください。
「すべてがFになる」のあらすじ
密室から飛び出した死体。究極の謎解きミステリィ。
コンピュータに残されたメッセージに挑む犀川助教授とお嬢様学生・萌絵。
孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季(まがたしき)。
彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。
偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平(さいかわそうへい)と女子学生・西之園萌絵(にしのそのもえ)が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。
引用元:講談社BOOK倶楽部より(最終閲覧2024.9.20)
今から書く考察に必要な情報をあらすじに付け足すと、天才・真賀田四季は14歳の時、両親を刺殺している。彼女はその時心神喪失状態とされ無罪になったんだけど、研究所のある部屋に隔離されることになる。
でも真賀田四季の頭脳はこの研究所の全てであり財産であるため、その隔離された部屋の中で研究を続けることになる。
真賀田四季の部屋は内側に真賀田四季と特定の人物しか開けられないアルミのドアがあって、その外側に黄色のドアがある。
その黄色のドアは内側から開けることはできず、外側から限られた人でないと開けない。
つまり真賀田四季は自分では外に出ることができないんだ。
そんな状況の中、ある日(主人公・犀川創平と西之園萌絵が研究所に来ているとき)、黄色のドアが勝手に開いて、中からウエディングドレスを着た両手両足の切断された遺体が配膳ロボットP1に乗せられて出てくる。
真賀田四季とモニター越しに話をしたことのある西之園萌絵は死体は真賀田四季だと言う。
(隔離部屋にはほとんど誰も入っていなくて出入りも録画されているから真賀田四季以外中にいるはずがないと皆口を揃えて言う)
死体が出てくる時には照明がチカチカしていて、主システムであるデボラがエラーで言うことを聞かなくなり、その後外部へメールも電話もできなくなる。
そのすぐ後、真賀田四季の妹を迎えに行っていた所長がヘリコプターで戻ってくる。
ヘリの中にいる所長に、事件があって外部へ連絡ができなくなっていることを伝えると所長は無線で連絡をとってみると言い、四季の妹を先におろして所長を残して皆一度研究所内に入る。
でもなかなか所長が戻ってこなくて見に行くと、所長は首の後ろをナイフで刺され死んでいた。
ヘリが止まる屋上にはエレベーターを使っていくしかないんだけど、エレベーターの記録にはさっき所長を迎えに行って、さらに様子を見に行ったときの映像しかなかった。
登場人物の相関図
すべてがFになるの主要人物の相関図がこちら。
主人公の1人、萌絵は両親を16歳の時に飛行機事故で亡くしている。
もう1人の主人公、犀川は萌絵の父親に世話になっていて、萌絵の小さいころからよく知っている。
両親を亡くした時に傍にいてくれたのも犀川だったんだ。
研究所のシステムについて
すべてがFになるの世界ではコンピューターはUNIXがメジャーに使われている。
UNIXは恐らくOSのことで、僕らからするとWindowsのようなものだと思われる。
でも真賀田研究所ではレッドマジックver4という独自のものを使っている。
これは真賀田四季博士が開発したもので、研究所はこのレッドマジックというシステムで管理されているんだ。
その他、研究所の機能としてデボラがある。
今で言うAIのようなもので、研究所でデボラを呼ぶと色々な操作が可能になるんだ。(デボラに姿はなく音声のみ)
レッドマジックの大きな特徴はセキュリティーシステムが強いことなんだ。
ウイルスや外部からの攻撃にはめっぽう強く、そういったもので異常をきたすことはまずないらしい。
今回の大きな謎である、黄色のドアが勝手に開いたり、照明がおかしくなったりするということは研究員からすると絶対にありえないことで、とんでもないことが起きたと皆パニックになるんだ。
しかも完璧なセキュリティーと監視の元、絶対他人の出入りができない四季の部屋から両手両足が切断された死体が出てくることなど考えられないんだよね。
「すべてがFになる」のFって何?
四季の部屋に誰もいないことを確認するために犀川たちは部屋に入って調べることにするんだけど、そこで四季のパソコンに残された四季の他の人格からのメッセージと「すべてがFになる」というメッセージを見つける。
タイトルにもなってるこのFというのが何のことなのか解説するね。
Fは16進数の4桁の最大値
僕たちは普段10進数を使ってるよね。
パソコンは2進数を使っている。
そしてプログラマーは16進数を使うんだ。
16進数って言っても意味がわからないと思うから少し補足するね。
まず10進数は1,2,3,・・・8、9と数えていってそのあとが10ってなるよね。
1の位が0に戻るんだ。そしてまた1の位が1,2・・8,9まで行くと10の位の1が2になって1の位は0に戻って20になる。
16進数は同じように数えていって16になると桁が上がるんだけど9のあとを1桁で表せる数字がないよね。そこで16進数では、
1,2,3,4,5,6,7,8,9,A,B,C,D,E,Fっていう風に数えるんだ。Fが15番目の数字だよ。
そのあとが10になってそこから、
11,12,13・・・19,1A,1B・・・1F,20,21・・・っていう感じで進んでいくんだ。
ここで0から毎時間1ずつ進んでいく時限装置があるとする。
最大値は4桁に設定されていて(ストーリー上ショートと呼ばれる)最大値になると時限装置のシステムが発動するっていうプログラムが組まれているよ。
16進数で表せる最大値はFFFF。
つまりすべてがFになる時、時限装置のシステムが発動するっていうことなんだ。
ちなみにこのFFFFを10進数に変換すると65535。
(16×16×16×16=256×256=65536。0もカウントするため65535となる)
時限装置をセットしてから65535時間カウントするとシステムが発動するんだ。
時限装置にセットしてあったシステムとは
時限装置は誰がいつ何のためにセットしたかというと、真賀田四季が、あの事件の日に黄色のドアを開けて照明もおかしくして遺体をP1に運ばせるために7年前の2月10日午前4時にセットしたんだ。
どうしてセキュリティーが万全なレッドマジックにエラーを起こすことができたかというと、そもそも真賀田四季はレッドシステムの開発の時にこの時限装置をレッドシステムの中にプログラムしていたんだ。
これはレッドマジックの外からウイルスのように侵入させたんじゃなくて、最初からシステムの一部として搭載していたトロイの木馬だったんだ。
トロイの木馬はウイルスとは違って異常ではない。そもそもそういうシステムで、時限式にすることですぐにではなく決められた日時に作動するようになっていただけなんだ。
だから研究員がエラーの原因を探しても見つからないし、出てきた死体は真賀田四季だから自分でセットするとも思われなかったんだ(両手両足を切断してP1に乗せてウエディングドレスを着せるというのは1人では不可能だから)。しかも7年前のレッドシステムVer4を設置した時に。
「すべてがFになる」の伏線
すべてがFになるでは、物語の序盤から伏線がいくつもある。
まず、今説明したトリックである16進数を示唆する伏線がかなりたくさん散りばめられている。
16進数に関する伏線
数字の中で、7だけが孤独なのよ
すべてがFになる/森博嗣 P12 より
1から9の数字を二組に分けてそれぞれの積を出した時、両方が等しくなることがあるか、という問いに対して萌絵は、ない、何故なら片方に7があるから。片方は7の倍数になるけどもう片方は7の倍数にはならない。と答えるシーンがある。
私だけが、7なのよ・・・・・・。それに、BとDもそうね
すべてがFになる/森博嗣 P16 より
続いて四季はこう言うんだけど、BとDもそうね(孤独)っていうのがヒントになってる。
10進数で考えるとわからないけど16進数で数えるとBは11、Dは13。
16進数ではBとDが孤独の数字なんだ(7は14が出てくるから孤独ではなくなる)。
開始16ページで16進数のヒント。この会話が16は16進数のことだという一番のヒントになる。
その他にも12ページから17ページにかけて何度も16って数字が出てくるんだ。
17ページには四季が萌絵に向かって、
「貴女に残された時間は、あと十七分と四十秒よ」
すべてがFになる/森博嗣 P17 より
と会話できる残り時間を言うんだけど、17分40秒を秒数になおすと1060秒だった。
ここにも1と6が隠れていた。
あと、警備員の1人の趣味がマリンバなんだけど、マリンバの音板の数は61個。
また1と6が隠れてたね(これに気づいた人あんまりいないんじゃないだろうか)
レッドマジックがトロイの木馬
これも物語の序盤。大学で生徒が、パソコンにウイルスが入ったから直してほしいと犀川に頼むシーンがある。
そこで犀川はウイルスの話をする時に、トロイの木馬の話を持ちだす。
ウイルスはワクチンで対処できるけど、中には正常なプログラムの内部に組み込まれているトロイの木馬と呼ばれるものもある、っていう説明をする場面があるんだ。
ここ、一見意味のないシーンに思えるけど、重要なところだったんだよね。
物語の序盤からトロイの木馬の話を出しているんだ。
これが後々、レッドマジック自体がトロイの木馬だったっていう結論に至る伏線になっているんだ。
ウェディングドレスを着ていたのは誰なのか
先にネタバレしてしまうけど、四季の部屋から出てきた両手両足を切断されウェディングドレスを着せられた死体は実は四季の子供だったんだ。
子供は所長の新藤との子で、あの密室で誰にも見つけられないように育てていたんだ。
四季の姿を見た人は所長を除いてはほとんどいない、そして世間のイメージは監禁される前の四季のイメージのまま止まっている。
それを利用して四季は子供を真賀田四季としてモニター越しで会話をさせていて、話の内容はイヤフォンのようなもので四季が指示を与えていたんだ。
事件の前に萌絵がモニター越しに話たのは、四季ではなく四季の子供だったんだ。
だから死体を見た時に、モニター越しに話した四季の子供と顔が同じだったから四季だと思い込んだんだ。
この入れ替わりについても伏線があった。
「貴女は誰ですか?」萌絵は突然湧いてきた疑問を素直に口にした。
すべてがFになる/森博嗣 P13 より
真賀田四季女史は、萌絵よりもずっと歳上のはずである。しかし、目の前のディスプレイに映し出されている彼女は、十代の娘のようだった。
すべてがFになる/森博嗣 P15 より
この2つの伏線は伏線と思わせないような工夫がされていると思った。
まず、貴女は誰ですか?の問いは、四季が多重人格故に出た質問だという風に読者は思い込むし、四季が実際より若く見えるのは、天才で両親を殺したという異常性が見た目にも反映されていると思わされる。
そのためこの伏線で、四季としてディスプレイに映っているのは四季ではなく違う人物(子供)だという風にはなかなか結びつかないんだ。
16の伏線も、普通の人はまず16進数のことはほとんど知らないからいくら16を強調しても読者はすぐにピンとはこない。
伏線を出しまくってるのに伏線に気づかないだろうっていう作者の挑戦のようにも感じたね。
ちなみにディスプレイに出てくる四季もどきは白い手袋をしているんだけどこれも伏線の一種。
両手両足を切断された理由は、手から指紋が出ては困るからなんだ。
四季は以前両親の件で警察に捕まっているから指紋が登録されている。
もしウェディングドレスの遺体から指紋が出てしまうと別人だとバレてしまう。
だから両腕をなくす必要があって、腕だけないと指紋に結びついてしまうから両足もなくしたんだ。
そして四季の部屋から子供の指紋が出ないように、子供には常に手袋をさせていたんだ。
四季の部屋に子供がいたことを示唆するもの
犀川たちが四季の部屋を捜索している時に、奥の寝室で見つけたものがある。
レゴブロック、風船、大きな熊のぬいぐるみ、ミシン、パッチワークのベッドカバーだ。
すべてがFになるを読んだことがない人がこの物たちから何を連想するだろう。
恐らくだけど、子供、じゃないかな。
少なくても僕はそう思う。
でもここまで読んだ読者の人はこれらを見て、すぐに子供がいたんだってことにはきっと気づかない。
四季は天才で常人ではない、という刷り込みがこれは四季のものだ(または四季の人格の一人のもの)という風に思わせるんじゃないだろうか。
15巻までしかない本
四季は14歳の時(15になる年)に両親を刺殺している。
これが四季の中で大きな出来事になるんだけど、罪悪感なのか、それとも大人になることへの抵抗なのか、あるいは15で終わる、ということの模範なのか、自分の子供にあることを教え続ける。
それは、自分と同じように15になる年に、両親を殺める、ということ。
四季は最初、子供に両親である自分と所長を殺して外の世界に出るということを教えていたんだ。
15で終わり。
子供は四季から16という数字について教わらなかったんだ。
だから四季の部屋の本はすべて15巻までしかない。
でも四季の子供はその思想を理解できなかった。
何故なら四季の子供は、天才じゃなかったからなんだ。
そこで急遽予定していた計画を変更して、四季自身が外に出ることに。
ウェディングドレスの遺体は四季の子供のほうなんだ。
(小説では子供を四季が殺した、とは直接書かれていない。他の作品で四季の子供は感電死による自死を遂げたことがわかる)
「すべてがFになる」の魅力的な文章
この本を読んでいて、この文章素敵だなーとか、考えさせられるなーって思ったところがたくさんあったからその一部を紹介するね。
「思い出と記憶って、どこが違うか知っている?」
(中略)
「思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ」
すべてがFになる/森博嗣 P289 より
全部記憶しているのが思い出だけど、記憶は全部は思い出せないってなんか矛盾しているように思えるけど素敵な表現だなって感じたんだよね。
「先生・・・・・・、現実って何でしょう?」
(中略)
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」
すべてがFになる/森博嗣 P357 より
「すべてがFになる」の話の随所に、現実は何なのか、現実はこれからどう変わっていくのか、現実の定義は何なのか、という問いが書かれてるんだよね。
これからの時代はどんどん電子の世界に移行する、とか、現実は物質から遠のいていく、とか。
現実ってたしかに何なのかって言われるとこれだっていう答えが僕には見つからない。
眠りについて目が覚めた時の自分は昨日の自分と同じと言えるかっていう問いを何かの本で読んだことがあるけど、同じだとは言えないよね。
昨日までの記憶を植え付けられた全く違う生物かもしれないし、他人との繋がりだって、単一だと思ってるこの世界だって、何をもって確実にかつ、絶対的に存在するのかと問われたらそれを証明できるものなんて何もないと思うんだ。
現実を人間の思考に現れる幻想っていう言い方をするのがすごくロマンティックで素敵だなって思ったんだ。
アニメと原作の違い
ここからは原作小説とアニメの違いについて書いていくよ。
アニメ版「すべてがFになる」は小説をただアニメ化しただけじゃなく、四季シリーズという真賀田四季にスポットを当てた4部作の小説を混ぜたものなんだ。
だから小説にはなかった描写がアニメにはあるし、小説だけでは語られなかった(後に四季シリーズで明らかになる)部分がアニメにはある。
小説「すべてがFになる」+小説「四季シリーズ(春夏秋冬)」=アニメ「すべてがFになる」ということなんだ。
具体的には小説では四季と所長の関係はかなり後半にならないとわからないし、どういう関係だったかという詳しい説明はない。
一方アニメでは、序盤から所長の語りが入り、四季との思い出が描かれている。
後半も所長と四季のシーンが割り込みで入って、より物語の全体が見える構図になっているんだ。
あと、アニメの最終章では、四季と四季の子供が対話する場面があって、四季の思想や小説ではあまり触れなかった人間の「優しさ」について子供に語っている。
小説とアニメを比べた時の違和感があるかと言われると、大きな違和感はほとんどなかった。
ただ人物が小説のイメージと少し違うなっていう程度だった。
(儀同世津子はすごく化粧が濃いイメージだったけどアニメではそうでもなかった)
アニメはプライムビデオでdアニメを契約すると全話無料で観れるよ。
dアニメは初月無料だから僕も登録して「すべてがFになる」を全部観たんだ。
プライム会員の人は是非チェックしてみてね。
まとめ
ここまで読んでくれてありがとう。「すべてがFになる」は理系ミステリーで、伏線が多いにも関わらずトリックを見破ることが難しい小説なんだ。
でもトリックを知ってしまうと、え、これだけのこと!?って思うかもしれない。
「すべてがFになる」は森博嗣さんの「S&Mシリーズ」の1作目で、全部で10作品あるんだ。
その他にも、さっき書いた「四季シリーズ」4部作や「Vシリーズ」「Wシリーズ」とたくさんあって、真賀田四季に関係ある物語もあるんだ。
とくに「Wシリーズ」のタイトルなんだけど「魔法の色を知っているか?」「デボラ、眠っているのか?」「人間のように泣いたのか?」なんかは「すべてがFになる」に関係する名前だし、今後読んでみたいと思ったんだ。勿論四季シリーズもね。
気になる人は読んでみよー!
というわけでまたね!(今後すべFに書かれてたことを考える記事を書きそうな予感がする)
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