暑くて早く冬になってほしいけど冬になると夏になってほしくなるおもち君だよ!
あたいは夏のままでいい・・・。寒いの嫌いっ
今日は中村文則さんの「去年の冬、きみと別れ」のお話だよ。
「去年の冬、きみと別れ」について
2013年に幻冬舎から刊行された中村文則さんの小説。
芥川龍之介の「地獄変」がモチーフになっている。
叙述トリックを用いた作品で短い小説なんだけど1回読んだだけじゃなかなか理解しきれない部分が多いんだ。
作者 中村文則さんについて
この本の作者、中村文則さんは1977年9月2日愛知県出身。
2002年に「銃」で新潮新人賞を受賞してデビューして同作品は芥川賞候補となる。
3年後の「土の中の子供」で芥川賞を受賞して、それ以降の作品は英訳版が海外で評価され、現在18ヵ国で翻訳刊行されている。
参考サイト:小説家 中村文則公式サイト -プロフィール-(更新2017年9月1日)最終閲覧2018年9月2日http://www.nakamurafuminori.jp/profile.html
簡単なあらすじ
ライターの「僕」は2人の女性を殺した容疑で捕まっている男に会いに行く。
そこで男と話していくうちに、本当にこの男が殺したのか、だとしたらどうして殺したのか、「僕」は疑問を抱くようになり、その殺人事件について思考を巡らせていく。
「去年の冬、きみと別れ」のレビュー
2人の女性を殺した容疑で捕まったカメラマンの木原坂雄大は、美しい写真を撮るということに翻弄され常人では考えられないようなある瞬間を撮ろうとする。
それが芥川龍之介の小説「地獄変」の絵師とリンクしているところだ。
地獄変は、実際に見たものしか描けない絵師が地獄絵図を描くために弟子を縛りあげて梟につつかせその様子を描いたりと、狂気に満ちている。
地獄絵図の大半が描き終わった時、絵を完成させるめに車の中で女が焼け死ぬ様子を描きたいと、絵を描くように命じてきた大殿に相談する。
そしてそれを承諾した大殿は、絵師の娘を車に閉じ込め火をつける。
絵師は娘を助けることなくその様子を目に焼き付けるように眺めていた。
後日、絵は完成し献上したあと絵師は部屋で自分の命を絶つ。
この、芸術のために全てを捧げるという部分がこの小説の中心にあるんだけど、ただそれだけでは終わらない叙述トリックを用いたミステリーとして中村文則さんは書きあげている。
主人公の「僕」の視点での場面、手紙のやりとり、木原坂雄大との対話、と単一視点でなく色んな角度から物語が進んでいくから、誰が、何を、どうした、というのが意図的にわかりにくくなっている。
そういうところがミステリーの要素なんだけど、本格ミステリーというよりは純文学に近いと感じた。
芸術に魅了され狂気じみた行動に出るというのは僕にとってはとても共感を得る部分だった。
僕もそういう瞬間があって、完全に理性が飛んでいってしまう。
芸術とは無縁だと思っている人も、小説だったり音楽だったり、絵だったり、好きなものはあるよね。
芸術を生み出す人とそれを受け取る人、どちらかに分かれるだけで人間は芸術から逃れることはできないんじゃないかと僕は思う。
芸術って言葉にするとちょっと遠い存在のような気がするけど、芸術って人間だったり自然の本質を描くものだと思うから、実はすごく身近なものなのかもしれないね。
映画「去年の冬、きみと別れ」について
2018年3月に岩田剛典主演で映画化されている。
映像化不可能と言われていた作品なんだけど、ついに映画化された。
わかっていたことなんだけど、原作通りじゃあないんだ。
叙述トリックを用いた作品は、映像として見えてしまうとそれがネタバレになってしまうから、ミステリーとして成立しなくなるんだ。
「去年の冬、きみと別れ」も映像化するにあたって変更点がかなりあるから、原作というより原案という風に考えて観たほうが良いかもしれない。
まとめ
タイトルの「去年の冬、きみと別れ」は物語の後半にその意味がわかるよ。
奇怪な登場人物と叙述トリックと用いた文章を楽しみながら読んでみてね。
1度目は何も考えずに、2度目は内容を把握した上で伏線を回収しながら読んでいくとより理解できると思うんだ。
このセリフは誰か言ったものか、とか、この時本当は何が起きていたのか、とかが2回目に読むとわかるから面白いよ。
叙述トリックを使った小説は僕も以前に読んだことがあるんだ。
「葉桜の季節に君を想うということ」っていう本なんだけど、こっちのほうが最後まで読むと、あー!そうだったのか!っていうのがわかりやすい作品だから、まずこっちから読むのもいいかもしれないね(「去年の冬、きみと別れ」はかなり理解するのに苦労する作品だから)
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