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「さよなら世界の終わり」深掘り考察!佐野徹夜が描く終末の物語とは?

「さよなら世界の終わり」深掘り考察!佐野徹夜が描く終末の物語とは?
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おもちくん
おもちくん

鬱小説が大好きなおもち君です。

今日は佐野徹夜さんの小説「さよなら世界の終わり」の考察をしていくよ。

この記事は小説の考察記事なので多少のネタバレを含みます。完全なネタバレはしませんがご注意ください。

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作品概要『さよなら世界の終わり』とはどんな本?

『さよなら世界の終わり』は、ある日突然訪れた世界の終焉を背景に、限られた時間の中で登場人物たちがそれぞれの生き方を見つけていく様子が描かれている小説だよ。

日常が失われた瞬間から、彼らは絶望だけじゃなく、残されたわずかな希望を見出して過酷な状況の中でもがきながら、それぞれの「さよなら」を迎える準備をしていく物語なんだ。

佐野徹夜独特の繊細で力強い文体が、終末っていう重いテーマに深みを与えて、読者に強い感情を引き起こす作品になってるよ。

佐野徹夜さんについて

佐野徹夜さんは、1987年京都府生まれの日本の小説家。

同志社大学を卒業後、2016年に小説「君は月夜に光り輝く」で第23回電撃小説大賞を受賞して、作家デビューを果たしたよ。

この作品は後に月川翔監督の元、永野芽郁さん、北村匠海さんのW主演で映画化されて、彼の代表作として広く知られるようになったんだ。

彼の作風は繊細で深い感情描写が特徴で、若者の葛藤や人間関係の複雑さを扱うことが多いよ。

主な著作には、今回紹介する終末的な世界を描いた「さよなら世界の終わり」や青春サスペンス作品「透明になれなかった僕たちのために」などがあるよ。

特に「さよなら世界の終わり」は、終わりゆく世界での人々の選択や感情を描いた話題作なんだ。

「君は月夜に光り輝く」での電撃小説大賞を受賞。その後も短編や長編で精力的に執筆活動を続けているよ。

何故「さよなら世界の終わり」を書いたのか?

この本を読んでいくと、とにかく世界に絶望してる主人公の心情がまず伝わってくるんだよね。

本って不思議なもので、それが全くの創作物なのか、著者の心情を反映しているものなのかってなんとなく伝わってくるんだけど、「さよなら世界の終わり」は完全に後者だったんだ。

そして読後、あとがきを読んだんだけど、その最初の一文が「ずっと生きるのが苦しかった」だったもんだから、やはりなーと思ったんだよね。

あとがきには佐野徹夜さんが小説家デビューするまで大変だったこととかが書かれてるんだけど、「さよなら世界の終わり」は佐野さんが人生で初めて書いた小説ですごく大事にしてた物語なんだけど、新人賞に応募するも報われず世に出ることがなかった作品なんだ。

「さよなら世界の終わり」が世に出る前に3作品出版されているんだけど、その3作品は「さよなら世界の終わり」の要素が入った作品で、本作への想いが断ち切れずにいたことがわかる。

実は僕もちょっと前まで小説を書いていて、佐野さんと同じような状態だったんだ。

どうしても書きたい作品があってそれは一度完成しているし新人賞ではないけれど公募に出した。でも受賞はできなかった。

その後、違う小説を書いたりみたりしたけど、どれも最初に書いた作品の二番煎じのような気がして納得がいくことはなかったんだ。

その時僕が思っていたのが、自分は小説家になりたいんじゃなくて、ずっと書きたいと思ってる報われなかった作品を完成させることが目的なんだなってこと。

佐野さんのあとがきにも少し似たようなことが書いてあって、勝手に似てるなーって思ったんだよね。

佐野さんが「さよなら世界の終わり」をどうしてここまで大事にしてるのか、それは恐らく佐野さん自身の心がこの作品に入っているからだと思うんだ。

だからどうしても作品として世に出したい想いが強く、新人賞はとれなかったけれど諦めずに書き直すことを選んだんだ。

あらすじと登場人物

この作品は死にかけると特殊能力が使える3人の青春物語。

死にかけると未来が見える主人公・間中。幽霊が見える、青木。人を洗脳することができる、天ヶ瀬。

ある日間中はナンバーズの当選番号を見るために死にかけて未来を見ようとした。

しかし目的の未来には行けず、たどり着いた先では天ヶ瀬という昔の友人が世界を壊そうとしていた。

間中は世界が終わることよりも、辛そうな表情の天ヶ瀬のことが気になり、彼を助けたいと思うようになる。

「さよなら世界の終わり」の考察

この作品は、鬱小説としてXのフォロワーさんから紹介してもらい読み始めたんだ。

というわけで内容はとっても暗いし、残酷でグロテスクな場面もあるから、苦手な人は回れ右したほうがいいかもしれない。

考察ではそういう表現はなるべく避けるけどどうしても書きたい部分は書いちゃうからご了承ください。

どうして生きなければならないのか

「なぜ人は生きなければならないのか?」って問いは、哲学の中でも最も深くて、古代から現代に至るまで多くの哲学者たちが考察してきた根源的な問題だよね。

実存主義の哲学者のサルトルやカミュは「意味はないけど、無意味なことを受け入れながら生きて行って自ら見つけてね」っていう考えだけど、それが一番この作品の最終的な結論のニュアンスに近いかな。

カントの「生きることは義務だ」とか、エピクロスの「快楽の追求」っていう考え方に対して否定的な主人公たちなんだよね。

とにかくこの世とか生きること自体に絶望しているんだ。

絶望しすぎて意味を見つけることすら億劫だし、意味を見つけようとする行為すら投げ出している。

ただ裏を返せば、意味を考える人は、意味がないと生きられないぐらい切迫してる人だって言うこともできるんだ。

そもそも自分の人生の意味は何なのかって考えながら生きてる人のほうが少ないんじゃないかと思う。

そういう話になった時にふと考えたり、きっかけがないとわざわざ考えることじゃないと思うんだ。

生きる意味がないと自分が不安定になってしまう、だから意味を探すけど見つからない。

この世に絶望してればしてるほど、意味を見出すことは難しくなっていく。

主人公たちは、そんな人生に絶望している青年たちなんだよね。

どうして絶望しているのか

さてさて、主人公たちはどうして絶望してるのかと言うと読めば読むほど、こりゃ絶望もするわっていう納得の内容。

虐待、いじめ、育児放棄、などなど、その内容もかなり具体的に書いてあって、経験のある人が読むと心が痛むというか傷がえぐれちゃうかもしれない。

こんなことがあったらそりゃ心も病むよなって感じだから、絶望してることに対する違和感とか疑問はそんなに持たなかった。

ちょっと話は飛ぶけど、人間がどうして絶望してしまうのかということより、絶望していない状態のほうが異常なんじゃないかなって言うのが僕の考えの1つなんだよね。

だってこの世ってそんなに綺麗なもんじゃないよ?

日本は(見せかけでも)平和だからなかなか気づかないかもしれないけど、例えば戦争してる国で生まれた子供なんて絶望しかないよね?

常に死と隣合わせでさ、希望なんて持つ余裕もなくただ今日生きられるかどうかの心配ぐらいしかできない。

今はそういった戦争下の国のほうが少ないから逆にそれが可哀そうなんて上から目線でみんな言っちゃうけどさ、人間は醜いし争いは絶対に絶えないわけで。

日本だって未だに村八分みたいなことしてるところだってあるだろうし、こうして呑気にブログを書いてることのほうがすごいことなんじゃないかな。

地球なんていつ滅亡してもおかしくないのに、人間は本当にそうなりそうになるまで全然意識しないんだよね。

この世は絶望に溢れてるのに、絶望しない環境が運よく用意されてるだけで本当はみんな絶望しててもおかしくないんだよね。

だからって戦争やいじめや虐待を正当化するわけではないんだけど、結局人間は自分が死ぬかもしれないとか、死が近くならないと「死」について意識しないし、「死」を身近に感じられないと絶望もしないんじゃないかっていうことなんだ。

これは哲学的に言えばハイデガーの「死への存在」に近い考えなのかな。

絶望を「人間が自らの有限性を直視した時に生じる感情」って捉える思想で、人間が自分の有限性を認識して、死を避けることができないっていう現実を自覚した時に、人生の意味や方向性に疑問を感じて、絶望に陥るっていうやつ。

死を意識しながら生きていくことってとっても苦しいことだよね。

ちなみに僕も人生に絶望していた時があるし、今も他人から気づかれることはないけど絶望してないって言ったらウソになるね。絶望と一緒に生きてる感じ。

死を選ばない理由

間中はこの世に絶望してるし、消えたいと思っているのに死なない。

この世に対する嫌悪感で溢れてるし、生きているけど死んでいるような毎日を送っている。

けど死には至らない。

何故これだけ病んで絶望しても死を選ばないのか。

この部分って作中でもあんまり語られてないんだよね。

死にたい理由とか死んでもいいっていうニュアンスのことはたくさん書かれているのに、だ。

どうして語られないか、それは作者の佐野さんにもはっきりとした理由がわからないからなんじゃないかと思うんだ。

多分、生きるのが辛い、死にたいって思ったことがある人ならわかると思うんだけど、死ぬのってそんなに簡単じゃないんだよね。

日本は自殺大国だって言われてるし、自殺する人が多いのも事実なんだけど、そんなに簡単に死にたいからってすぐ死ねるわけじゃないんだ。

死への漠然とした恐怖

みんなも一度は考えたことがあるだろう、自分が死んだらどうなるんだろうっていう疑問。

もっと詳しく言うと、自分の意識というものは残るのか、消えるのか。

意識が残るっていうのは幽霊になって死後の世界を見るところまで自分の意識が続いているのか、それとも死んだら意識も全て消失してしまうのかっていう疑問。

自分の意識が消えるってこと、なかなか想像できないと思うけど、ちょっと考えると怖いよね?

自分が死んでも世界はあって、世界はあるのに自分はいない。

自分のいない世界があるって思うだけでもなんだか不気味だし、どういうことなのかはっきりと想像することもできない。

人は想像が及ばないことに対しては恐怖を覚えるもの。

間中もそういうことを考えていたと思う。

この世への未練と執着

この世になんの未練も執着もなさそうな間中だけど、実は未練と執着どちらもある。

冒頭でも書いたように、間中は未来を見ることができてその未来では、元々友達だった天ヶ瀬が世界を壊そうとしている。

そして天ヶ瀬に対して、助けてあげたいっていう感情を抱くんだよね。

「さよなら世界の終わり」はどうやったら世界を壊す天ヶ瀬を救えるのか、っていうのも大きなテーマになっていると思うんだ。

だから間中にはまだこの世でやることが残っているんだ。

それから同じ学校の友人青木の存在も大きい。

自分が死んだら青木はどうなってしまうのか、っていう心配も間中がすぐに死ねないことの1つの理由だと思うんだ。

本当の孤独ではない

主人公たちはみんな孤独を感じている。

多かれ少なかれ心を病んでる人は孤独を抱えてると思うんだよね。

自分の辛さは他人にはわからない、とか、苦しんでいるのは自分だけ、とかそういう風に思いがちだし、実際苦しみなんてのは自分にしかわからないもの。

誰かと苦しみを共有することもできなければ、誰かが苦しみを消してくれることもない。

それを孤独と感じるのは普通のことだと思うんだけど、間中と青木は本当の意味では孤独じゃあないんだ。だって二人は友達だから。

二人は存在しているだけでお互いの命を繋ぎとめているんだ。

その点では天ヶ瀬は一人だし、一番孤独を感じている。

だから間中は、助けてあげる方法がわからないけれど、助けたいと思ったんじゃないかな。

あと間中が天ヶ瀬を救いたいと思ったのは、天ヶ瀬の中に自分自身を見たからなんだ。

作中で天ヶ瀬は、自分と同じような経験をした人間が自分と同じようになるとは限らないってことを話ている場面があるんだけど、それは間中や青木に向けられた言葉でもあると思うんだ。

世界を滅ぼしたいっていうことを最初に口にしたのは間中だったんだけど、結局そうはしなかったしするつもりもないんだ。

間中は世界をどうこうするより、自分の存在を消したいという風に思っている。

だけど、世界を消したいとか滅ぼしたいっていうのは嘘じゃないしそういう気持ちも持ち合わせているんだ。

天ヶ瀬がしていることは、本来間中が抱いた願望だったし、天ヶ瀬がしていることが悪いとも思っていない。それは自分が望んだことを天ヶ瀬がしようとしているだけで、自分の代行をしているのが天ヶ瀬なんだ。

天ヶ瀬は自分自身。

天ヶ瀬を救いたいっていうのは、自分自身を救いたいってことと同じなんだよね。

つまり、絶望や孤独を抱きながらも、間中の中からは希望が消えていないんだ。

死後の世界で感じたこと

「さよなら世界の終わり」では死にかけた間中が死後の世界のような場所に行く場面が何か所かある。

最後のほうの死後の世界の場面で、間中は長い時間(死後の世界の時間感覚で)過ごすんだけど、そこでは何も起こらないんだよね。

浜辺にいて、海から間中の思い出にまつわる物が流れ着いてくるんだけど、それをただ積み上げていくだけで他に何もない。

死後の世界は争いもなければ滅亡もない。他者がいないから憎しみも怒りも喜びも何もない。

お腹がすくこともないし、病気もしないし、何の不自由もない世界。

なのにどうしてだか、寂しい。

死んでもいないし生きてもいない、ほとんど無に近い状態。

先に死んでしまった妹のミキが居て、ずっと傍にいられるよ、と囁く。

だけど間中は、死後の世界で青木と天ヶ瀬に会おうとする。

ミキは、3人でいたって傷つくだけだし会わないほうがいいと止めるんだけど、それでも間中は2人を探す。

この時すでに間中は死ぬという選択肢を選ばずに、生きることを決めているんだ。

何もない世界。苦しみも痛みも、飢餓も未来も、何もない世界。

間中はその世界に馴染めなかった。

何かを感じること、何か変化があること、それが痛みや苦しみだとしても、そこに価値があるし、そこに生きるってことの意味を感じるんだ。

そして天ヶ瀬を救うことも諦められない。

人は苦しい時、その苦しみから逃れたいがために死を選ぶことがある。

でも、苦しみから逃れるための死と、望んで死に向かうことでは本質的には全く違うことだと僕は思うんだ。

苦しみから逃れたいっていうのは、救済を求めているってことなんだよね。

救済を求めるっていうのは、死ぬこととは真反対だと僕は思う。

そこには希望があるし、生きようとする意志が残されているんだ。

だから本当は、誤って死ぬべきじゃないんだよね。

本当に人が自分で死ぬ時って、怒りとか悲しみとか苦しみとかそういう感情に支配されてる時じゃなくて、無になった時なんだよね。

3人の中で一番無に近かったのは天ヶ瀬で、生きる意味や生きている実感を得るために人を操り殺め、世界を滅ぼそうとしているんだ。

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これから「さよなら世界の終わり」を読む人へ

まだ読んだことがない人へおすすめするポイントは、とにかく著者の世界に対する否定的考えへの熱量がすごいというところ。

人生で一度でも「死にたい」って思ったり、今もそう思っている人にはとても考えさせられる内容だし、考察を読んでもらったらわかると思うけど、根底に哲学的問題があるんだよね。

そういう本を読みたい人には特におすすめするし、あと難しい言葉とか表現は全く出てこないから、難しい本が苦手な人にもおすすめできるよ。

僕的にちょっと残念だったなって思うところは、会話文が続いているところは特になんだけど、誰がしゃべってるのかがちょっとわかりにくかったんだ。

主に3人の会話なんだけど、3人ともそんなに喋り方に特徴がなくて、会話文が続いたり、誰かが唐突に喋ったりした時、これ誰が言ってるんだろ?ってなったんだよね。

そこが唯一残念だったところ。

最初にも書いたけど、虐待やいじめのシーンでは生々しいことが書かれているし、首絞め、リストカット、は主人公たちが何度も行う。

そういうものに嫌悪感がある人は読まないほうがいいのかなと思うよ。

僕は読んでよかったなって思ったし、同時に佐野徹夜さんにすごく親近感がわいた。

佐野徹夜さんの他の作品も読んでみようと思う。

それでは、またねー!

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