音楽

映画「イノセンス」の傀儡謡の解釈。歌詞の意味を深読み考察(前編)

映画「イノセンス」の傀儡謡の考察 前編
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おもちちゃん
おもちちゃん

おもち君、くぐちゅってなぁに?

おもちくん
おもちくん

傀儡っていうのはあやつり人形のことだよ!

おもちちゃん
おもちちゃん

じゃあおもち君は私の傀儡だね!

おもちくん
おもちくん

なんも言えねぇ・・・

ということで今日は、映画「イノセンス」で使われている川井憲次さん作曲の「傀儡謡」についての考察記事だよ。

イノセンスの一番の魅力は何?って聞いた時、上位に入るのが音楽じゃないかと思うんだ。

民謡をベースに東洋音楽と西洋音楽を掛け合わせた独特の音楽がもう、とにかくかっこいい!!

そして昔の日本語を使った歌詞はとても神秘的で一気に日本の雰囲気を出す要素になってるんだ。

だけど昔の日本語って今の人には難しいよね。そこで今日は僕なりに歌詞の考察をしていくよ。

イノセンスの内容の考察もこっちの記事で書いてるからよかったら見てね!

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傀儡謡の歌詞の意味

傀儡謡には『怨恨みて散る』、『陽炎は黄泉に待たむと』、『新世に神集いて』の3つがあるんだ。

『新世に神集いて』は他の2つと歌詞が重複するから省略して、2つの曲の歌詞をみていくよ。

今回は前編で『怨恨みて散る』の考察だよ。

この曲は古い日本の言葉を引用していることがわかっていて、古事記、日本書紀、万葉集に同じ言葉が存在する。なのでそういう所から来ているものと想定して、引用元の文脈も考慮した解釈をしているのでご了承ください。

それから僕は古典は得意だったけど、専門家でも研究家でもないので誤った解釈をしているかもしれないこともご了承ください。

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怨恨みて散る

一日一夜に 月は照らずとも
悲傷(かな)しみに鵺鳥 鳴く
吾がかへり見すれど
花は散りぬべし
慰(なぐさ)むる心は
消(け)ぬるがごとく

新世(あらたよ)に 神(かむ)集(つど)ひて
世は明け
鵺鳥 鳴く

咲く花は
神に祈(こ)ひ祷(の)む
生ける世に
我(あ)が身悲しも
夢(いめ)は 消(け)ぬ
怨恨(うら)みて 散る

一日一夜に

一日一夜と言えば月読神と天照大神が喧嘩をした時、日と月は一日一夜隔てて住むようになりこれが「日月分離」の神話といわれ、昼と夜の起源となった。という話が有名。

一方和歌では万葉集で恋の歌に登場し「一日でも会えないと寂しい」などと別離に対する悲しみを歌うものが多んだ。

月は照らずとも

月というのはよく、遠く離れた恋人や去ってしまった人という意味で使われる。前の一日一夜にと合わせることで切なく寂しい雰囲気を強調しているよ。

悲傷(かな)しみに鵺鳥 鳴く

鵺(ぬえ)はこれもまた悲しいイメージを持つ鳥。ここまでの歌詞を合わせると、孤独や寂しさを抱えた人(恋しい人に会えない状況かもしれない)の悲しみに鵺が鳴いているという感じだろうか。

イノセンスではバトーが草薙素子に対する気持ちを表しているのかもしれない。

考察記事でも少し触れたけど、ガイノイド(ハダリ)とバトーはとても似ている。身体はほぼ機械。バトーを人間たらしめるものはゴーストのみ。そしてハダリもまたコピーではあるがゴーストを所有するガイノイドだ。人とそうでないものを構成する物質などの要素で定義するなら、バトーもハダリも人間であり同種だ。

イノセンス終盤で誘拐された被害者の少女に怒って、ゴーストを持ったアンドロイドが死ぬことは考えなかったのかと言うんだけど、バトーはアンドロイドに同情しているんだよね。バトーは人間よりアンドロイドの悲しい定めを憂いている、というニュアンスがこの曲にもあるように感じるんだ。

吾がかへり見すれど 花は散りぬべし

吾がかへり見すれど、というのは私が振り返ってもとか顧みても、ともとれるけど、古語の意味を尊重するならば、気にかけても、という意味。

花は何の比喩かというのがこの歌詞で一番悩んだところなんだけど、これはハダリのことかなと思う。

この世は無常であることの儚さと、使い捨てにされていくアンドロイドの儚い命を重ねているんじゃないかな。

慰(なぐさ)むる心は 消(け)ぬるがごとく

ここはそのまま意味をとって前の文について、慰めの心が(無残にも)消えるように、私が気にかけるものたちも儚く散っていくだろうとなる。

新世(あらたよ)に 神(かむ)集(つど)ひて

新しい世というのは希望でもあるけど、死すべきものは死んでという意味もある。そこに神が集う。
輪廻転生の一環というか、始まりの地点に戻るみたいなニュアンスがあるのかもしれない。

世は明け 鵺鳥 鳴く

新しい世(世を夜とかけているなら朝とも言える)が来て鵺鶏が鳴いている。

この鵺鳥もやっぱりどこか悲しいイメージがあって、新しい世が来て喜んでいるというよりは、諸行無常というか、同じ運命を辿ることになるのだろうという悲観が混ざっているような感じもする。

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咲く花は 神に祈(こ)ひ祷(の)む

ここはこのままの意味で、花は神に祈る、という解釈でよいかと。

ただし、花は植物の花ではなくてハダリなどのアンドロイドのことを暗喩している。

生ける世に 我(あ)が身悲しも 夢(いめ)は 消(け)ぬ

自分の存在(運命)を悲しんでも夢は消えてしまう、という儚い歌詞。

消ぬは古語的に訳せば消えてしまうだけど、ここをあえて消えないと訳しても意味が通るところが面白い。ただ今までの歌詞とイノセンスの世界観からすると、どうあがいても節理には逆らえない的な、またはアンドロイドが使い捨てにされる運命はなかなか変えられないということをふまえて消えてしまうとしたほうがいいだろう。

怨恨(うら)みて 散る

最後にタイトル回収。そしてこの一文がイノセンスの全てを表していると言っても過言じゃない。

これは自分たちを作り使い捨てにする人間への怨みであり、アンドロイドに感情を持たせたことに対する怨みであり、そんな運命に逆らえない自分(ハダリを含むアンドロイド)に対する怨みである。

ただ怨んでいる、じゃなく、怨みながら消えていく様子が「散る」という言葉一つで見事に表されているね。

以上が傀儡謡「怨みて散る」の考察でした!

この記事で取り上げている傀儡謡が使われている「イノセンス」の考察記事も書いてるからよかったらそちらもご覧ください!

そして!『イノセンス』の公開20周年を記念して、『イノセンス 4Kリマスター版』と『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 4Kリマスター版』の2作品が、2月28日(金)からTOHOシネマズで同時公開が決定!!おめでとおおおおお!!

2週間だけらしいから3月14日までかな??

いいなー観に行ける人・・・。

ではまた後編の記事まで、またねー!

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