おもちちゃん、もう新紙幣は見た?
まだだよ。ねーねーおもち君、千円札の北里柴三郎って誰なの?
もしかして、北里柴三郎のこと知らないの?
もちもちおもちー!!
じゃあ今日は北里柴三郎のことをおもちちゃんにわかりやすく説明するね!
北里柴三郎は簡単に説明するとこんな人
・破傷風の研究をして血清療法をあみだした
・福沢諭吉や森鴎外、野口英世とも繋がりがあった
・北里研究所を作った
・北里研究所創立50周年記念事業として北里大学が創立
北里柴三郎は何をした人?
北里柴三郎は熊本県出身の微生物学者であり教育者。
1871年(明治4年)に西洋医学所(現在の熊本大学医学部)っていうところで教師のマンスフェルトに出会って医学の世界を教えてもらうんだ。
最初は医者になる気はなくて、将来のために語学の勉強をしてたんだけど、マンスフェルトに顕微鏡で微生物を見せてもらってから医学に興味を持ち始めていくんだ。
マンスフェルトは北里柴三郎のことを気に入っていたし、語学も勉強していたから、自分の助手にして授業の通訳を任せたんだって。
生徒なのに助手になったの!?めっちゃ頭いいじゃん!
それだけ熱心に勉強したってことだね。
それからマンスフェルトの助言で東京医学校(現在の東京大学医学部)に進学。
したのはいいんだけど、教授の論文に口出ししたりして大学側と仲が悪かったんだ。
そのせいで何年も留年したんだって。
口出しされて怒るってことは北里柴三郎が言ってることはもしかしたら正論だったのかもね。
あたいも自分のすることに口出しされたらいやぁぁぁぁぁ
なんかそれは違うような・・・
それでも何とか卒業した北里柴三郎は内務省衛生局(現在の厚生労働省)に就職するんだ。
内務省衛生局には同じ熊本から上京してきた緒方正規っていう人がいたの。
緒方正規も東京大学医学部に入ったんだけど、北里柴三郎が留年してるあいだに先に卒業して内務省衛生局に入っているから、北里柴三郎の先輩で立場が上になってるんだ。
緒方正規は衛生学や細菌学を学ぶためにドイツに留学してたんだけど、内務省衛生局にきた北里柴三郎にも、海外留学することを勧めるんだ。
北里柴三郎はドイツに留学、そこでコッホと仲良くなるんだ。
コッホ?誰?
コッホは結核菌やコレラ菌を発見した細菌学者だよ。
コッホに師事してから色んな業績を上げていくんだけど、特にすごいのが破傷風の研究なんだ。
北里柴三郎は「破傷風菌純粋培養法」っていう破傷風菌だけを取り出す方法を見つけたんだ。
そして「破傷風菌抗毒素」を見つけて、「血清療法」を開発したんだ。
漢字ばっかりでわかんないよー
血清療法っていうのは、破傷風菌を少しだけ動物に注射するんだ。すると菌が入った動物は菌を殺そうと抗体を作るんだ。その抗体が入った血清を取り出して、破傷風の患者に注射すると破傷風菌をやっつけることができるんだ。
しゅごーい!!
北里柴三郎と偉人たち
北里柴三郎がドイツで活躍している頃、日本では先輩である緒方正規が「脚気(かっけ)の病原菌」を発見したと騒いでいるんだ。
でも北里柴三郎は、
「それちゃうで」
と先輩の発見を否定する論文を発表するんだ。
その頃の日本は今よりもずっとずーっと上下関係が厳しくて、典型的なタテ社会だったのね。
先輩の発見を後輩が否定するっていうのは当時では考えられないような反逆行為だったんだ。
だから緒方正規の周りのお偉いさん達は大激怒。
人情がないとか、師弟関係の道を外れてるとかボロクソ言われるんだ。
その大激怒してた人っていうのが東京大学のお偉いさんとか、陸軍軍医だった森林太郎(森鴎外)なんだ。
森鴎外って本書いた人じゃないの!?
そうだよ。作家としても有名だけど、陸軍の軍医で46歳で軍医の最高峰の座にもついたとってもすごい人なんだ。
北里柴三郎は昔から大学側と仲も悪かったし、それに加えて森鴎外まで敵に回しちゃったんだ。
でも当事者である北里柴三郎と緒方正規は仲良しで、ライバルみたいな感じだったみたい。
周りのほうが騒ぎ立てちゃった感じだね。
日本に戻ってきた北里柴三郎はみんなを敵にまわしちゃったせいで居場所がなくなって研究する場所に困っていたんだ。
そんな時、手を差し伸べてくれたのが、なんとあの福沢諭吉なんだ。
海外ですごい成果を出したのに北里柴三郎にふさわしい研究所が日本にないことを憂いて、資金援助をして「私立伝染病研究所」を建てて、そこの所長に北里柴三郎を任命したんだ。
翌年、私立伝染病研究所が狭くなり新しい研究所を内務省の用地に移転する計画を立てたんだけど、東大のお偉いたちが妨害してくるんだ。
北里柴三郎の研究は危険で人体に悪影響だ!ってね。
そこでまた福沢諭吉が動く。
福沢諭吉は移転予定地のすぐ傍に自分の次男を住ませて、「自分の次男が住んでるけど大丈夫ですよ。北里柴三郎の研究は危なくないですよ」って言って反対運動を鎮めるんだ。
ちょw福沢諭吉かっこよすぎww流石一万円札の顔になった男ww
そのあとは国からも支援を受けて運営が軌道に乗りはじめたんだ。
その頃、香港では「ペスト」が流行っていて、内務省から研究調査を依頼された北里柴三郎は香港に行くんだけど、さすがは北里柴三郎、見事に「ペスト菌」を発見するんだ。
この時も森鴎外は「北里が見つけたのはペスト菌じゃなくて偽物の菌だ」と本の中で批判している。
その後、私立伝染病研究所は国立伝染病研究所となる。この頃研究員かつ北里柴三郎の英語の通訳をしていたのが、千円札でおなじみの野口英世なんだ。
お札の顔の人が勢ぞろいだね!
あたいもお札の顔になりたい!!
お札の顔に選ばれるには、功績を残した文化人で、しかも死んでる人しかなれないんだよ
あたいまだ死にたくないよー
でも順風満帆の月日はそう長くはなかったんだ。
簡単に言うと、研究所は今度から東大の管轄にするからよろしくーって勝手に決められちゃうんだ。
そんなことになったら東大と仲が悪い北里柴三郎は黙っちゃいない。
北里は私費を投じて「私立北里研究所」を設立するんだ。
しかも、国立伝染病研究所にいた職員は全員辞職して、北里の研究所についていくんだ。
時は飛んで1917年。慶應義塾に医学科ができて「慶應義塾大学部医学科」が誕生する。
慶應義塾は福沢諭吉が創設者だ。
北里柴三郎はこれまでの恩に報いるべく、学長に就任。
教授には北里研究所からスター研究者を送り込んで「慶應義塾大学部医学科」の発展に尽力するんだ。
めっちゃいい話!福沢諭吉も北里柴三郎もかっこいい!
これで今日のお話は終わりだよ。おもちちゃん、北里柴三郎についてわかったかな??
ばっちり!北里柴三郎は色んな菌を見つけたかっこいいおじさんってことね!
後に北里研究所創立50周年記念事業として、1962(昭和37)年に創立されたのが「北里大学」だ。
【参考文献】
“北里柴三郎”. Wikipedia.https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8C%E6%9F%B4%E4%B8%89%E9%83%8E,(2024.7.8)
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